中松です。今日のコンテンツは

「ストレスフリーに潜むリスク」になります。

 

 

 

 

 

現代人はストレスに晒されてるとか、
社会そのものがストレスに満ち溢れてるとか
何かにつけて言われています。

そういうこと言ってる人に聞きたい。

昔はどうだったんだよ?知ってるのか?
と突っ込みたくなるところですが
それはさておき(笑)

ストレス社会に付随して
ストレスフリーという言葉があります。

ストレスだらけの世の中だからこそ
お金や時間、人間関係の全てで自由になって
ストレスから解放されましょー、ストレスフリー!

ベタすぎて笑えますが
しかし、こういったコンセプトが
結構な層に刺さるのもまた事実。

確かに、お金に困っているストレスがなくなり、
いつも忙しくて時間がないストレスがなくなり、
そして、人間関係のストレスがなくなれば…

それは素晴らしい事であり
目指すべき一つのポイントかもしれません。

しかし、ここで忘れてはいけない事として
「ストレスフリーには実はリスクが潜んでいる」
という点です。

一体どういうことかというと
「ストレスフリーに慣れてしまうと
ストレスに弱くなってしまう」という点です。

逆説的かもしれませんが、
これは私の経験上、残念ながら
思い当たる節があります。

ストレスフリーの要素が高まるということは
ストレスが減るので、これは快適です。

しかし、日常からストレスが減ったことにより、
ストレス耐性が下がるので、
突発的に、ストレス要因が発生した時に対して感じる
ストレス度が大きくなってしまうという事です。

例えば、昔は嫌いな人や苦手な人ばかりに囲まれていたけど
それが当たり前。そんなもんだと割り切れていた。

ストレスはあるけど、ストレスに慣れているので
過剰にはストレスを感じない、といった状態です。

その後、幸いな事に人間関係が改善されて、
とても良好な人ばかりに
囲まれる生活を送れるようになったとします。

これは良いことですし
ストレスフリーの状態です。

しかし、その状態で突発的に、
運悪く面倒くさい輩に出くわしてしまった。

嫌な人や苦手な人に、いじわるをされた。

従来だったら戦ったり、対抗できていたのに、
ストレス耐性が低くなってしまっているので
うまく対応できず嫌な思いをしてしまった。

これがストレスフリーによって生じた
ストレス耐性が低くなるリスクです。

なんとも皮肉なことなんですが、
これはストレスフリーの状態になるほど
生じやすい現象の一つです。

なんといいますか、平穏に慣れ過ぎて
いつのまにか平和ボケした雑魚(ザコ)になり果てて
しまったと状態とも言えるかもしれません。

ただし、これに対する私なりの対処法も
じつはありまして、カンタンにご紹介しておきますと
「わが身をあえてストレスに晒す」です。

これは効果ありますよ。

例えば、私は普段あまり電車に乗らなくなりましたが
あえて、満員電車に乗って臭くて、しんどい思いをする。

普段、美味しいもんばかり食べてるけど
あえて、粗食やジャンクフードを食べて、
あとから具合が微妙に悪くなる思いをする。

この人苦手だな、嫌いだなと思っている人が
参加するのが分かっている飲み会や集まりに
あえて、嫌だなーとおもいつつ参加して
案の定、嫌な思いをする。

これらは、いわば「ドM戦略」であり、
「わが身をあえてストレスに晒す」の真骨頂です。

これは効果ありますよ。
平和ボケから目が覚めます。
昔を思い出します。

ストレスフリーは良い事
↓↓
ただし、慣れ過ぎると平和ボケした雑魚になる
↓↓↓
どうすれば良いか?
↓↓↓
我が身をドMばりにストレスに晒す

はい、こういう事です。

なんか書いていて、結局、ストレスからは逃れられない
というか、むしろ、ある程度のストレスは
必要なんだということが認識できました。

■追伸

原稿を1通書かないといけないという
ストレスから解放されました。

もう書かなくて良いやと思っていると
平和ボケしてきます。

あえて、号外などを受注して、
通常版を書かないといけないストレスに
我が身を晒します。

無限ループ