中松です。字が汚いのは見た目が悪いのと一緒だ!
先日、手紙を書く機会が久々にあり、
ボールペン握りしめ、便せんに書いていくと
ひとつ気付いたことがありました。
「俺、こんなに字が汚かったっけ…?」
自分でもショックな位に、字が下手になっていました(笑)
というのも、大学生2年からパソコンを使い始め、
それからめっきり手書きの機会が激減しました。
ワードやメモ帳など使い、タイピングしてしまえば、
手書きの何十倍も速いスピードで
思っていることを文字化できるんですから。
キーボードのタイピングにしろ、
スマホの文字入力にしろ、
手書きよりもどう考えても早いわけです。
その恩恵のおかげで、
人よりもたくさん情報発信できているわけなので、
これは大きなメリットではあります。
正直、使わない手はないと思います。
しかし、その代償は少なからずあり、
手書きで文字を書く機会が激減したせいで、
字を書く能力が著しく退化してしまったようです(泣)
もう公開できないぐらいに、
下手くそすぎて泣けてくるレベルです。
日本語に慣れていない外人さんが書く、
日本語より下手なんじゃないか?
でも、退化しても当たり前っていえば当たり前ですよね。
普段、ボールペン握る機会なんて、
ご飯食べてカード決済の時にサインするぐらいですから。
「書く」という行為が、私の生活からなくなっているのです。
で、前置き長くなりましたが、
「字が汚いのは、見た目が悪いのと一緒だ」と感じたことです。
なぜなら、手紙を書いていてふと感じたのが、
どんなに素晴らしい内容を書けたとしても。
字が汚いと感動しない、というか
そもそも読もうという気持ちすら減ってしまう、
と言うことです。
逆に、字がキレイなら、内容が幼稚でもそれなりに見える。
仮に中身なくても、字がキレイな人、という印象が残りますよね。
昔よりは明らかに文章力はうまくなっているのに、
それを手書きの文字として表現する力は退化している
というジレンマ。
なんだか「人の見た目」とも似ていますね。
どんなに性格悪くても見た目が良いと
人からちやほやされるものですし。
(文章が幼稚でも、字がキレイだと)
逆に、性格が良くても、見た目悪いと
そもそも中身を見てもらうまでに至らない感じで。
(感動的な文章でも、字が汚いと読んでもらいにくい)
いまは文書だけ考えて、字が上手い人に
代筆してもらう便利なサービスなんかもたくさんありますが。
(昔からあるかな?)
とはいえ、やはり、
大事な時は自分の手書きでいきたいものなので。
(ここらへんが青臭くてイカンですね…。)
ここはなかなか歯がゆいところです。
そもそも、字はその人の内面を写す、とかなんとか
そんなセリフも聞いたことありますしね。
…まとまりがなくなってしまいましたが。
汚い字でも心をこめて一生懸命書けば
メッセージは伝わるかもしれませんが、
どうせなら字はキレイなほうが得だな、と思った次第です。
ちなみにこの方法は私のように字が汚い人でも、
まったく問題なく挑戦できる手法です。
良い時代に産まれて助かりましたwww