中松です。又吉直樹さんの芥川受賞作
「火花」を読みました。
お笑い芸人ピースの又吉直樹さんが
「火花」という作品で芥川賞を受賞して
話題になっているのはご存知と思います。
キンドルだと即購入できるのですが、
私はじっくり読みたいときはあえて「実物の本」で
読みたいという昭和の名残が残る人間です。
結局、注文してから1週間ぐらいたってから届いたのですが、
先日ようやく読み終えました。
読み終えたといってもページ数「148ページ」ほどなので
ものの2~3時間あれば読めてしまえるボリュームです。
いま少し調べてみたら芥川賞って
そもそも「短編」が対象の文学賞とのことです。
(一部、中編ボリュームの作品もある)
なるほど、148ページというのは納得です。
少しだけネタバレしますとストーリーは
売れないお笑い芸人「徳永」扮する主人公と
天才的な才能を有する
同じく年上お笑い芸人の「神谷」との
出会いから約10年間を舞台にした作品です。
ストーリー的には売れないお笑い芸人に始まり
目だった活躍をすることもなく解散までの様子を
扱っているので、とくに特筆すべきことはないです。
いわゆるミステリー作品のような
次の展開をワクワクしながら読んでいくような
代物の作品では、はなからないということです。
では、どういった点を楽しむ作品かといえば
徳永と神谷のやりとりや会話、
とくに徳永の心情描写や
独特の言い回しなどを味わう点にあります。
又吉さんといえばお笑い芸人ピースとしてのイメージが強いです。
コントや漫才などもテレビを通してですが
何年も前から見てきておりますが、
又吉さんが実際の芸で見せる言い回しや切り口と
系統が似ている表現などが小説内でも見て取れるので
本当にこの人自身が書いた作品なのがすぐ分かりました。
芸人としての又吉さんをある程度知っているうえで
この作品を読むと、面白さがアップするといえます。
それにしても本業が小説家でない人が書いた作品と
考えるとすごい多才だなと思える
出来栄えだと感じました。
そもそも、例えばの話ですが、
「仕事から帰って、夜ご飯を食べて、寝るまでの様子を
100ページにわたって書きなさい」
こんなお題があったとします。
で、これ普通の人ではとてもではないですが、
そもそも書くことができません。
だって、仕事から帰って、夜ご飯食べて、寝るだけなんて
あまりにありふれた日常の様子ですし、まして
それを100ページにわたって書けなんて無理です。
ところが、小説家としての
文学的な才能を持っている人は
これをやってのけるのです。
カンタンな事象を
いろいろな言い回しや、表現、装飾などで
読ませるに値するものに仕上げていくことができるのです。
今回の記事でも冒頭に
ストーリー的には売れないお笑い芸人に始まり
目だった活躍をすることもなく解散までの様子を
扱っているので、とくに特筆すべきことはないです。
と、私書きましたが、そうなんです。
そもそもストーリー云々を見ている作品ではなく、
平たくいってしまうとカンタンな事象を
どれだけ掘り下げて、どれだけいじくり回せるかの
「表現力」を見ているともいえます。
又吉さんの火花を読んでみた感想としては
「すごいな、俺はこんな表現到底できない」
と率直に思いました。
ただ、芥川賞受賞については
私自身がこのジャンルに精通していないので
妥当なのか、そうでないかの判別はまったくつかないですね。
話題が先行してあーだこーだ批評している人が多いですが、
そもそもそれ相応の知識量があって
言っているのでしょうか。
せめて、直近10年ぐらいの全芥川賞受賞作品を
すべて読んで、その特徴や傾向などを把握した上で
あーだこーだ言っているのならまだ聞く耳持てるのですが、
ぱっと目を通して読んだ程度で
批評するのはとてもではないですが、
恥ずかしすぎるなーと感じてしまいます。
筋の通った批判、批評をするのなら良いのですが
多くの批判、批評ってそういうものではないですよね。
相手をこき下ろしたつもりになって
(その相手の多くは話題性がある人や権威性がある人など
影響力を持っている人が対象になることが大半)
「どうだ!こき下ろしてやったぜ!
そんなすごいやつをこき下ろした
俺はもっとすごいぜ!」
的な感じのものとか、
社会的影響力のあるものを批判することで、
自分自身の優位性をアピールしたいだけのものとか
そんなのばかりで面倒くさいですね。
なお、ストーリー的には
特筆すべき点はないと書きましたが、
最後の最後のオチ的な要素として
「神谷」が自分の○○を△△してしまいます。
これはまったく予想をしていなかったですし、
あまりに唐突なぶっこみ展開だったので
読んでいて興奮しつつ笑えました。
今後、又吉さんが
どんな作品を書いていくか楽しみです。