中松です。今日のコンテンツは
「その厳しさに愛はあるか?」になります。
世の中には
厳しくしてくる人がいます。
厳しい先生、厳しい上司、厳しいコーチ。
厳しい夫、厳しい妻、厳しい両親。
学校でも、社会でも、家庭でも
いろんな場面で厳しい人はいるものです。
ここでポイントなのは
「厳しさの見極め」です。
具体的には
「愛があるか、ないか」です。
例えばです。
とても厳しい先生がいたとします。
課題を多く出して来たり
何かにつけて大きな負荷をかけてくる感じです。
これは生徒からすると
確かに大変です。
しかし、きっちりこなしたら、
自分の能力が上がったり
良い結果を得られるまで成長できたとします。
すると、この厳しさは
意味のある厳しさだったといえます。
先生も適当に厳しくしていたのではなく、
厳しくしたほうが相手のためになる場面を
見極めて厳しくしていたわけです。
これは愛のある厳しさです。
一方で、愛のない厳しさとは
どんなものか?
例えば、ブラック企業などは
その典型例です。
社長や上司は鬼のように
社員をこき使います。
奴隷のような扱いで
生活や人生そのものを圧迫してきます。
しかし、それに耐えて頑張ったところで
見返りはないわけです。
給料も上がらなければ
スキルも身につかない。
精神的な充実も得られない。
ただただ摩耗です。
「お前のために俺は言ってるんだよ、グダグダグダグダ…」
こんな感じの
「自分が言いたいだけの人」にも
気を付けたほうが良いです。
言いたいだけの人は
自分が相手よりも優位の立場にいると
思いたいだけです。
そこに愛はありません。
あるのは自己陶酔や
度を越した承認欲求。
相手への愛ではなく
自分自身が好きすぎる、
いわゆる「自己愛性パーソナリティ障害」の
可能性もあります。
このように同じ厳しさでも
「相手への愛があるか?ないか?」
さらには、その先の結末。
つまり本人の進化成長に
繋がるか、繋がらないか。
この点を意識して捉えてみると
「厳しさ」を見極められるようになります。
もしいまあなたが
厳しい環境に晒されているのならば…
一度、冷静にこの視点で
考えてみてはいかがでしょうか。
愛のある厳しさなのか?
そうでないのか?
その厳しさに耐えるだけの価値はあるか?
まったくもってないのか?
成長に繋がる厳しさなら
頑張る価値大ありです。
むしろそういう環境を
手にできているのはラッキーです。
一方で、頑張る価値がない厳しさに
晒されているのであれば
さっさと環境を変えたほうが良いです。
仕事を変える、離婚をする、
距離をおく。
頑張る前の前提条件に
問題がある確率が高いからです。